ある年の瀬、
私は肺炎に罹った。
夜毎、高熱を出していた。
不思議なことに
朝は平熱に戻るのだ。
この繰り返しなものだから、
病院に行くタイミングを失って悪化したらしい。
そもそも、職場の誰かに忠告されて
市民病院へ行った。
万が一、
肺炎で動き回っていたのなら
命取りになるよ、と。
心配された通り
血液検査とレントゲンの結果、
「肺炎」と診断された。
ただ、2日後には大事な会議が控えていた。
迎えに出向くような著名な方々をお呼びしての
大切な会議だった。
事務担当者は私。
段取りは既に終えていたが、
このまま休みに入る訳にはいかないと思った。
休みたくもなかった。
幸いにして、
感染するタイプの肺炎ではないらしい。
翌日、まだ早い時間に家を出て
タクシーで職場に向かった。
誰もいない間に
少しでも資料を整えておきたかったからだ。
到着して5分も経たないうちに
「部長」が出勤してきた。
朝早くに来る部長だと噂には聞いていた。
私は8時30分のチャイムに
滑り込むような生活だったから
こんなに部長が早いとは知らなかったのだ。
フロアの一画に、パーテーションで仕切られた
部長の部屋があった。
私はすぐ近くの席に座っていたが、
部長と日常的に接することのできる立場ではなかった。
部長は、部屋に荷物を置くと
私の席に近づいてきた。
どうやら、
肺炎のことは部長の耳にも伝わっていたらしかった。
誰もいないフロアで
部長は、私の前に≪二つの手≫を差し出した。
続けて、こう言い切った。
「全部ください。
私が、やりますから。」
私はそのセリフを聞いて、言葉を失った。
普通なら、
「誰かにさせるから、すぐに帰りなさい」
と言うのが関の山だろう。
まず私なら精一杯の配慮のつもりで
そう声をかけると思う。
ところが、
部長は違った。
現実的でないにせよ、
自らが引き受ける覚悟を”部下”に見せたのだ。
<上司が責任を取る>とは、こういうことか!
部長の真っ直ぐなその物言いに、
自分の器のなんと小さなことかと気づき、
恥じ入った。
私はそれ以上
書類に手をつけなかった。
昨日、電話越しで
同じ係の先輩たちが言ってくれた通り、
すべてを任せようと
感謝の気持ちが湧いたのだ。
そして、
皆が出勤してくる前に
静かに帰宅した。
帰りの車内で私は、
いつか部長のような≪器量のある人≫になろうと決めた。
未だに、私の憧れの人である。