43歳の社会人でありながら、経済の「け」の字も知らずにこれまで生きてきた。
いわんやマネジメントについても触れているはずもない。
最近、私が傾倒するファッションバイヤーMBさんの一押しの図書と聞き、P.F.ドラッカー(上田惇生編訳)『マネジメント【エッセンシャル版】-基本と原則』(ダイヤモンド社、2001)を買い求めた。
アメリカでこの原書が刊行されたのは1973年である。
組織の構成が肉体労働者から知識労働者に大きく移行しても、日本の経済成長が幕を閉じた現在でも、ドラッカーの説くマネジメントの思想は全く古びれていなかった。
組織の意義やあり方にいかに無知であったか思い知ったし、ひとつひとつに納得して読み進めた。
あちこちに付箋をつけ過ぎて、全くブログにまとめきれなかった。降参である。
組織に生きる社会人は是非、読んで欲しい。
社会は組織でできている
現代社会そのものの機能が、それらの組織の仕事ぶりにかかっている
序章 1頁
組織とマネジメントは切り離すことができない。組織が機能するためにマネジメントは存在すると定義される。
ところで、公務員の世界にどっぷり浸かってきた私は、申し訳ないほど企業に疎い。
営利目的という理由だけで企業に条件反射のように警戒し、必要以上に距離を置いてきた。
しかし、ドラッカーは、「企業は社会の機関である」と説く。
国家機関・自治体だけが社会の構成要員なのではない。
企業も正真正銘、社会の一組織なのである。
そして企業は、利益をあげてこそ社会貢献を果たす。
利益を出さない企業は、組織として破綻する。
つまり、企業が利益を出せずに機能不全を起こしたならば、社会は成り立たないのである。
私のような見識のない公務員に伝えたい。
「営利目的」というだけで企業を捉えてはいけない。
意思決定はあらゆる階層で行われている
続いてドラッカーは、組織の中で、「リスクを伴う意思決定」がどの階層でもみられていると説く。
確かに、職場では、一個人の判断によっていとも簡単に仕事の方向性や内容が決定されることが多い。
マネジメントする立場からすると、このことは大変に恐ろしい事実である。
マネジメントする立場でない者に組織が左右されているのである。
組織が間違った方向に進まないためには、「われわれの事業は何か。何であるべきか」をマネジメントする者がきちんと定義し、周知することだという。
仕事の仕方や成果は、自己責任=働きがい
ドラッカーは、仕事の仕方や成果の量や質は、働く者とその集団の責任であるという。
これらは、マネジメントの役割ではないのだ。
しかも、仕事の責任が働く者のやりがいにつながっているそうだ。
私は仕事をマネジメントしてきたか、と問うと途端に雲行きが怪しくなる。
人のせいにしないよう、自己をマネジメントして過ごして生きたい。
以上は、『マネジメント』のほんの一部を掲げたに過ぎない。目の届くところに置き、繰り返して読むつもりである。