社会人学生として入学した大学院の修士課程で、私は江戸時代の絵入り本のジャンル「黄表紙(きびょうし)」に描かれる「食」についての研究を行った。
江戸時代の本と聞くと高尚なイメージがあるが、「黄表紙」は江戸の町人や武士が描く、文章と絵で構成された戯作本である。
安永9(1780)年刊行の『菓物見立御世話咄』(北尾政演作画)という作品を例に挙げると、
国立国会図書館デジタルコレクション(https://www.ndl.go.jp/)
頭に蜜柑を乗せた女性の姿と林檎を乗せた男性の姿が確認できる。
人間の姿をした登場人物が、蜜柑、林檎然として立ち振る舞う姿、その果物たちの恋模様は、理解を超えた設定ながらも現代の私たちにも通じる分かり易さと可笑しさが感じられる。
2005~6年の職場で取り組んだ展示調査で、私は現実と虚構を綯い交ぜにして滑稽に描くこの「黄表紙」の面白さに触れて衝撃を受け、2013年から研究対象として向き合うことになった。
安永4(1775)年からわずか30年の間に刊行された黄表紙であるが、私はその細やかな描写内容から当時の生活文化を窺いしれる材料になるのではないかという仮説を立てた。
そして、作品にみられる里芋、山の芋、薩摩芋の表現や描写を洗い出し、当時の伝承や風習など江戸文化のあれこれを探ったのである。
読み返すと本当に稚拙な論文ではあるが、江戸と現代の芋のイメージとの差異を確認することができた。
わずかではあるが自分なりの研究成果は出せたと感じている。
この修論をまとめたものが『国際日本学』14号(法政大学国際日本学研究所、2017)に掲載されているので興味がある方は目を通してほしい。
(法政大学学術機関リポジトリhttps://hosei.repo.nii.ac.jp/より)
ところでところで、私は一見すると真面目に見えるらしい。
しかめっ面をしてこう論文まで提示してしまうと、真面目なイメージが増長されてしまうのかもしれない。
しかし、論文の本当の目論見は、声を大にして「芋を研究した私自体が“芋”であったことよ」と言いたいだけなのである。(笑うところです)