私の父は、正真正銘さっぱりした人だ。
こんなにあっさり、
ものごとを扱う人にいまもって出会ったことはない。
それは笑い話にもなるぐらいだ。
思想ゼロ。疑心ゼロ。理屈ゼロ。
つまり情が深くて、優しくて、感性の人なのだ。
ファザコン結構、
子どもの頃からそんな父のことが大好きだった。
だから、
私は自然に父の模倣をしていることが多い。
例えば、前職で私は
事務机に何も置かずに帰宅することを
日課にしていた。
明日にやるべき仕事はもちろん、鉛筆一本でさえ、
「何も置かず」すべて机の上から片付けるのだ。
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小学生の頃、
会社員勤めをしていた父の職場に
たまたま入れたことがあった。
確かそれは日曜日で、
父は番小屋の守衛さんに用件を伝え、
木造平屋建ての事務所へ進んだ。
私は時が止まったような静寂さに怯え、
父の後ろを必死について行った。
部屋に入ると見渡す限りの事務机があり、
それらは向き合って整然と並び
いくつかの島を形成していた。
個々の机の上には書類やファイルが
雑然と積まれていた。
私が「会社」、「仕事」というものの
実体に初めて触れた瞬間でもあった。
目指していた「父の机」は、
ある島の一画にあって、
その記憶は鮮明に残っている。
「父の机」だけ、
何も置かれていなかったからだ。
いや、何もないわけではない。
カード型の暦一枚が挟まれた緑色のデスクマットと
すりガラスの置物がぽつんと置かれていた。
ただ、当時読んだ『ガラスのうさぎ』の影響で
その置物は想像上の“ガラスのうさぎ”に置き換わり、
そこだけは曖昧な記憶になっていった。
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父は何かを語る人ではない。
長い話は聞いたことがない。
しかし、父を、父の生きざまを
私はこの時、この何も置かれていない机で理解した。
だから私は就職し、机に何も置かなかった。
デスクマットさえ不要だと拒んだぐらいだ。
ちなみに父は、
始業の2時間近く前に出勤する人でもあった。
これだけは今後も真似どころか、無理な案件だ!