青い豆が大好きだった。
なんていう名前だったかな……。
そう、春日井製菓の「グリーン豆」。
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当時、歴女という言葉はなかったけれど、私は古都「京都」の地に憧れ、学生時代をそこで過ごした。
築40年という大学生協の紹介文に驚きつつも、2階建ての「醍醐グリーンハイツ(通称、グリーンハイツ)」を棲み処にした。
4人姉妹の長女である私にとって、27,000円(水道費込み!)という家賃はあまりにも魅力的に映った。
古めかしさを存分に感じさせる建物ではあったが、掃除が行き届き、学生向け下宿とは思えないような整然とした空間だった。
グリーンハイツは、バス通りから路地に入り、大家さんの家の前を素通りした突き当りにあった。
建物の簡素さに比べると立派過ぎる、ガラス張りの観音扉が学生たちを迎えてくれていた。
脱いだばかりの生暖かい靴はスチール製の下駄箱には押し込まず、いつも手に下げたまま階段を上がっていった。
なんとなく、そんな姿が格好良いと思っていた節がある。
そして、真っ青な絨毯敷きの廊下を進んだ。
両側には個室が静かに並んでいた。どんな時も薄暗い廊下で誰かと鉢合わせになることはほとんどなかった。
私の寝起きしていた205号室は、廊下の右側にあった。
押入れのついた6畳間に、半畳ほどの台所があり、そこには一口コンロと小さなシンクがついていた。
台所の横に小さな冷蔵庫を並べ、その前に布団を敷いて眠った。
夜中になると冷蔵庫の唸るような音で度々目を覚まし、まるで吉本ばななの『キッチン』の世界だなと一人浸った。
しばらくの間、テーブルは段ボール箱を代用した。どこかで見たようなドラマに自分を重ね、いただき物で馴染みのない花柄の食器をしみじみと眺めたものだった。
毎日しっかりと磨かれる大きな風呂は、名前の書かれた木札を下げれば16時から朝まで自由に入ることができた。
共同トイレは和式2つと洋式1つが一列に並び、各階に置かれていた。
1階の廊下を抜けて外に出ると、建物の壁に沿って洗濯機が3台並んでいた。
ひとつは二層式洗濯機で、時短のためによく利用した。
・・
下宿から外に足を延ばすと、徒歩2分で「泉ストア」にたどり着くことができた。
泉ストアは、バスの停留所「醍醐和泉町」を下車する乗客はすでに店の敷地にいるという嘘みたいな好立地で、黒縁メガネの元気なお兄さんが店内を明るく取り仕切っていた。
店舗の前には天幕が張られ、日持ちのしそうな缶詰や菓子の盛られたオレンジ色のワゴン、上面をカットした飲料水の段ボール箱がほどよい感じの雑然さを持って置かれていた。
バスを降りた乗客(降客とでも言おうか)が立ち寄る仕組みが揃っていた。
こまめに商品が入れ替わっている感じはしないのだが、黄色い用紙に赤マジックでしっかり書かれた“お買い得品”の文字が添えられ、泉ストアの配置や導線は常套だが効果的な集客方法だったと思う。
私も下車すると“お買い得品”を物色し、「青い豆」に手を伸ばしてから店内に入っていった。
「青い豆」に目がなかったのだ。
そっと夕陽の差し込むグリーンハイツの部屋に戻り、小さな幸せを感じながらお茶を沸かした。
夕食までの小腹を満たすつもりで封を開けるのだが、いつの間にやらその「青い豆」の袋は空になった。
バス通学をした雨の日暮れには「青い豆」が相伴され、半ば雨の恒例行事となっていった。
いつからか節制できずに一袋を平らげてしまう自分に嫌気がさすようになった。
そんな食後は、低気圧のだるさが一層増すような気がした。
ある時、ふと思い立ち「青い豆」を買わない決断を下した。
・・・
あれから20年が経った。
久しぶりに「青い豆」のことを思い出し、web上の公式サイトを初めて訪れた。
なにしろ「お買い得品」の文字に目が行っていたので当時の記憶は鮮明ではないが、パッケージはアルミ素材に写真と商品名が印刷されただけの地味な袋であったように思う。
20年の時を経て対面を果たした「青い豆」は、少しポップに進化を遂げていた。
そして当時はなかった<とまらない美味しさ>という文句に衝撃を受けた。
おそらく長年のファンの声が反映されたフレーズなのだろう。
私だけでなく、多くの人を“止まらない”魅力で往年引きつけてきたことに安堵し、20年前、自己嫌悪に陥った当時の自分の気持ちが癒えていった。
いつか「青い豆」の封を切るのだろうか。
※画像は、グリーン豆 | 春日井製菓 (kasugai.co.jp)さんからお借りしました。