21年目、最後の仕事
この春に異動した部署の9月は、イベントが多い。
そのひとつに博物館での展示があった。
展示の構成、レイアウト、仕掛け、作業工程を考えることは、私にとって仕事というより遊びの感覚に近い。
資料に添える説明版(キャプション)を切る作業も楽し過ぎて、マスクの下でにやつきが収まらなかった。
予算がなく自前で作るチラシも、私にとっては組み合わせの妙を探す実験であった。
最後の最後に、学芸員として業務に取り組めたことは本当に有り難く、何よりのギフトあった。
同僚に伝える
私の所属していた係は忙しい。
天候に関係なく作業着に着替え、出動する。
現場に出ることが免れても、途切れのない電話の呼び出し、緊張感のある窓口対応、膨大な事務処理が待っていた。
仕事の多さは元来、嫌いではない。
ただ、従事する人数に見合わない業務を抱えていたことは事実である。
そのことが明らかであるのに年度途中の9月末で退く、という自分の決断に後ろめたさがあった。
そして同僚に退職することを伝えたのは、結局9月中旬であった。
突然の退職の宣言に大いに驚かれたが、私の決断を重んじてくれて感謝しかなかった。
最後の出勤日
その日はほんの少し早く起床した。
自分の気持ちや想いをきちんと感じて記録に残したかったからだ。
9月30日朝6時、Facebookに以下の文章を上げた。
【口内炎と退職と】
https://www.facebook.com/fujitomopr/
口内炎ができる度に「しゃべりすぎたからだ。」といつも反省する。
そして、今日も口内炎が2つ。
なんなら口角炎までできてしまった。
史上最悪の口内環境。
なぜだ。
今日こそ人生で一番、感謝を述べなくてはならない日なのに。
そう、今日で20年と6ヶ月という期間を過ごした組織から離れる。
退職するのだ。
昨晩、Facebookを立ち上げるとお世話になった方が「感謝と貢献をしなさい」と伝えていた。
これまでの自分に照らしてこの「感謝と貢献」という言葉を捉えると、「組織に存在できる感謝。
そして、仕事の機会を頂けていることへの貢献」をしてきたのだなーと気がつく。
そして明日からは、感謝のできる枠がぐっと広くなるというか、枠さえもない世界に生きるんだ。
これからは、どこに貢献をしていくのだろう、と頭を巡らした。
武者震いがした。
これまでの私は組織の中で「自由」をテーマにずっと闘ってきた。
こだわってきた、というべきか。
そういえば、高校の選択時から「自由」がテーマであったっけ。
ようやく自由を手に入れて、枠が外れる明日。
今度は何を自分に課すのだろう。
口内炎が最悪だ。
なんなら口角炎も。
今日も朝からしゃべり過ぎた。
いつも通りに通勤し、いつも通り仕事をした、
そしていつも通り昼休みには、一人カフェラテを飲んだ。
「明日から、この場所に私はいない。」
何をしていてもその一文が、常に頭を支配していた。
周りは、年度途中の退職者の扱いに戸惑っているようにみえた。
わざわざ幹部の方と面談する機会を設けてくれ、丁寧に丁寧に応対をしてくれた。
終業後には皆で送別のケーキをいただいた。
年度途中の決断は、公務員あるまじき行為だったかな、と少しだけ反省した。
でも、私らしいな、とも思った。
20年前の始まりの日は、花冷えのせいかとても寒かった。
20年間の結びの一日は、あらゆるものが温かかった。
つい長居しそうになったが、振り切って蒼然たる庁舎を後にした。