テレビを見ないくせに、
私は″テレビ″に詳しかったりする。
正しくは、
「テレビ番組表の内容」に詳しい。
新聞を手に取ると
まず一番に″テレビ欄″を読む。
これは、昔からの習慣なのだ。
学生時代、
リサイクルショップで
黒いブラウン管テレビを手に入れた。
大家さんの自転車の荷台に
テレビをくくりつけ、
築40年のアパートまでの道のりを歩いた。
水色のペンキで化粧をしたテレビは
とても可愛らしい存在だった。
しかし、いつからか6畳間一間の
押し入れが14インチテレビの定位置になった。
手狭になったのではない。
なんとはなしにテレビを見た後の
時間の喪失感が半端なく嫌になったからだ。
そして私は、
テレビを封印し、
テレビと戦うようになった。
<テレビを見ない>というルールで。
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早起きだった私は、
未明から、新聞の配達を待ち構えていた。
新聞を手にすると
一面の見出しにチラリと目をやり、
テレビ欄に向かった。
今振り返ると、
この時点で劣勢だが
これはテレビとの大事な戦いの場。
この戦(いくさ)にジャンル、チャンネルの
区別はなかった。
ワイドショーも教育テレビも深夜番組も
すべてに目を通した。
それはラジオ欄にも及んでいった。
ただ、
「どうしても、どうしても、見たい……」
という番組に
出会ってしまった時にだけ、
つまり、
″テレビに負けた″時だけ、
ファンシーなそれを押し入れから出した。
敗者となった私は、
限られたテレビ時間に諸手を挙げて楽しんだ。
「これさえあればご飯……」
という触れ込みは、
おかずの好きさ加減を言い表すもの。
当時の私は
本当に「テレビ欄」をおかずに
ご飯を食べていた。
これは、単なる不作法か。
はたまた「PRプロデューサー」という
″今″に繋がる習慣というべきか。
ちなみに……
未だにテレビと戦っていたりする。
(大分、丸くはなったなったが)